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 2009.6.20 てっちゃんの株式教室 {論壇}   

「生きる品格と尊厳」

人間は、要するに自分を幸せにできるのは自分しかいないんだ・・ということに人生の終盤を迎えるにあたって気づく。
そんなことをあるテレビドラマの女性主人公が話すのを見た。
脚本家の先生、あるいは原作者の先生自身の人生観でもあるのだろう。
でも人生には、幸せを構築できるもうひとつの機軸がある。
それは夫婦関係だ。仮面の夫婦という不幸な例はこの際、省くものとする。
老人ホームを慰問に行ってほしい。
そこには、誰もが迎える人生の終盤の姿の縮図がある。
地位も名誉も関係ない。それが介護の現場である。
おそらく、カネと地位と名誉にすがって生きてきた人は死を目前にして
そんなものへの無力感を感じている。

ある老人は、窓辺にすわって何時間も家族が帰っていった方向をみている。
ある老夫人はひとり部屋にもどっていつまでもさめざめと泣き続けている。
それぞれ、金融機関のトップに君臨したり、深窓の令嬢だったり、
行政の要職にあったりした栄光の過去を持っている人たちだ。
むろん、多数の人は人生の最初から何の名も無い人たちだ。
でも人生を終えるにあたって両者には何の開きも無い。
介護の現場では、ただの同じ老人でしかない。
そこにあるのはただ孤独だけだ。
死ぬ時はひとり。

うつ病、引きこもり、DV、家庭内暴力、登校拒否、現代には様々な病巣があふれている。
そして凶悪犯罪の引き金、温床となっている事例も少なくは無い。
人は自分のやっていることの意味を経験の蓄積の中で学んでいく。
それがバランス感覚だ。世間では常識という言葉を使う。
バランスを欠くと、幼児と同じ状態になる。
人間は年をとって幼児に還る。
アブノーマルな形としては精神病がある。攻撃的な脳神経が暗闇を彷徨っている。
自分のやってることの社会的評価がわからない。やたらと自己弁護に走る。
自分を正当化することが「聖域」だから、幼稚な「城」が崩壊するとキレルことになる。
思い込みは怖い。
アブノーマルを基準に見れば、飲酒運転のドライバーも「気が大きく」なっているわけだから
その瞬間はやはりバランスを欠いているのである。
事故死は、犯罪は、他人をも不幸に巻き込む。

人生のリセット、それは離婚だ。
よほど相性が悪いのであれば止むを得まい。
でも、往々にして「しまった」と後で後悔する人が多い。
離婚してよかったというのは多くの場合は「虚勢」であり見栄を張っているわけだ。
わがまま・・への視点を残しておきたい。
客観的な検証作業は必要だ。

長い年月を共に苦難を乗り越えてきた夫婦には「味がある」。
私見では、家庭というのは母親主導のほうがうまく展開していく。
日常的に子供たちと接しているからだ。
母親にニコニコと活躍の場を与えるのがイチバン。
父親は柔道の団体戦で言えば、あくまで最後の5番手「大将」なのであって、
チーム運営からは出番の少ないほうがいい。
大将が出て行くということは、もう後がない、崖っぷちのピンチだということだ。

換言すれば、最後の切り札だから航空機の機長の役割でもある。
機長の行動は決定的な意味合いを持つ。
生死の決定権が自らの操縦桿に託されている。
私は父親像というのは沈み行く艦船の艦長に置き換えてよく考える。
タイタニック、戦艦大和、責任をひとり負って
今まさに沈没する艦長室にひとり引き上げて内からカギをかける。
それが父親の取るべき道だ。

この世で万民から褒められるということは有り得ない。
必ず誰かがケチをつける。あんたは間違っていると。
でも黙って耳をかたむけるべきなのだ。
反論していい相手と、反論してはいけない相手がいる。

機長として、艦長として、無法者の出現にどう対処するか。
言ってわからない相手にどう対処するか。
決断は自らの責任において行うしかない。
どのような結果となろうとも判断に迷いがあってはならない。
不利益はひとりで受け止める。妻に及ぼしてはならない、理想ですけどね。
「いい父親でありたい」というのは単なる欺瞞だ。
その結果は八方美人で何もしない無能政治家と変わらない。

ふたりそろって元気に人生の最後を全うしたい。
どちらが欠けてもいけない。
だから病気、事故をしちゃいけないんだよ。家内の言葉です。

(6月20日、父の日を明日に控えての雑感)

てっちゃんの株式教室 (マガジンID:0000139100)


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